気まぐれ日記 2011年9月
2011年8月はここ
9月1日(木)「8回目の文章サークル・・・の風さん」
輪番休日も3ヶ月目に突入した。
8年前に作り直したサンルームの母屋とのつなぎ部分に問題があって、雨水が染み込んで来る。それが未解決のままだったので、建築屋に見に来てもらった。
素人目では完璧な解決は大変そうなので、このままほうっておいたらどうなるか教えてもらえればよいと思っていた。
しかし、飛んできてくれた社長は、丁寧に点検してくれて、やはりこのままではいけない、何とかしてみよう、と言ってくれた。さすがにプロのプライドがあるのだ。
とは言っても、根本原因が不明で、自信のある対策が打てないできたというこれまでの経緯がある。今日は屋根のつなぎ部分の応急処置をしてくれたが、近づいている台風の影響で、どのような状況になるか、しっかり観察することになった。
夕方から、私が主催する文章サークルに出かけた。昨年から始めて、今日が通算8回目である。何とか軌道に乗るのか乗らないのか、それを見極めるのが当初の目的だったが、まだつかみきれていない。
そのような中、メンバーの1人(若い男性)が退職したという話を聞いた。将来が期待できる人なので、サークルを継続できるか、とても心配である。
そろそろ秋のイベント(遠足)を企画したい。
9月2日(金)「創作の企画書・・・の風さん」
台風の影響で強い風が吹いていたが、朝から雨も降り出した。ときどき横殴りの雨になる。建物の屋根や道路を洗い流すように降り注ぐ。窓を閉めていても、無数の雨粒が叩きつける音が聞こえてくる。
今日こそは遅れていた企画書を完成させねばならない。
そして、明日のセミナーの準備もしなければ。
そう思っていたら、台風のためにセミナーが中止になった。公共交通機関であちこちから集まってくるので、これは無難な判断だろう。途中まで準備したことがあったので、少し残念だが仕方ない。
企画書に専念することにした。
私の企画書はかなり力を入れて作る。具体的なイメージが見えるように作る。創作ならあらすじを書く。
今回の企画書は創作なので、あらすじを書いてみた。
例によって、最初に頭の中には何も浮かんでいない。真っ白なキャンバスに文字を並べていくうちに、ストーリーが浮かんでくる。ラフなストーリーの中に、自分の書きたいものが見えてくる。不思議な作業だが、いつもこうだ。きっと無意識の中にたくさんの想いの引き出しがあって、文字を吐き出すことで、それらが飛び出てくるのに違いない。
日付変更線をまたがずに書き上げた企画書を編集者へ送った。
本格的な執筆は来年からなので、しばらく息がつける。つまり、取り組み中の作品に力を注ぐことができる。
9月3日(土)「名古屋数学史セミナーが中止・・・の風さん」
台風12号の影響で、強風が吹いていた。これから雨も強まるだろう。
今日は、名古屋数学史セミナーがある予定だったが、遠くから来られる先生方のことを考慮し、中止となった。
全国和算研究(富山)大会以来、少し姿勢を正して和算と向き合っていたので、ちょっと残念である。
会社の帰りに体育館に寄ってみると、さすが土曜日、世間はお休みなので、あいにくの天気にかかわらず混んでいた。
今月は何回トレーニングに来れるだろうか。
晩御飯の後、ワイフのパソコンの手伝いをちょっとした。
結局、平和な1日になってしまった。
9月4日(日)「お爺さんは山へ芝刈りに・・・の風さん」
台風がのろのろと北上している。いやらしい台風だ。
24日から始まる大学院の講義のために、事前に読んでおくべき参考書のリストを入手した。1冊は既に所有していたが、他の本を購入するだけの経済力がない。そこで、身近なところで探して借りることになる。
今日は、職場(研修所)の図書室にないか同僚に尋ねてみた。検索システムも使ってみたが、同僚がわざわざ探しに行ってくれても、残念ながらなかった。次は、愛工大かもしれない。
個人的には「TO DO LIST」を作って自己管理している。今日は、会社の業務でやることが多く、さらに上司との面談もあって、帰宅が遅くなった。それでも「早起きは三文の徳」の逆があって、掃除のおばさんの差し入れのナスを一袋もらって帰ることができた。
家へ着いて「芝刈りに山へ行って帰って来たお爺さん」の気分だった(笑)。
9月5日(月)「青島先生の本・・・の風さん」
定例打ち合わせのためT製作所へ出社。研修所へ行く前に本社に寄ったが目的を果たすことができなかった。
午後の打ち合わせのあと、青島先生の『競争戦略論』を読み始めた。面白い。納得の内容で、ベストセラーだけのことはある。大学院の講義が始まる前に読んでしまおう。
戸締り当番もちゃんと務めて退社。
有料道路でミッシェルをあおる馬鹿者がいた。相手になどならない。ミッシェルが壊れたらたまらない。
9月6日(火)「悲しい青空・・・の風さん」
朝刊の一面に元首相のインタビュー記事が出ていた。不可解な発言が目立った首相が(本人は決断だと言い張っているのもちゃんちゃんらおかしいが)、その発言の根拠となった理由を述べていた。記事の通りだとすると、いかに子供じみた見識の低い考えがそこにあったかがわかって、腹が立った。どうして国民の尊敬が得られるようなことが言えないのだろうか。想像力に乏しいか、既に老耄の域に入っているかのどちらかだろう。
ミッシェルのハンドルを握って走り出したら、空が抜けるように青かった。雲ひとつないのである。台風一過なのだろうが、甚大な被害をもたらした台風の後だけに、悲しい空の青さだ。
昨日目的を達成できなかった用事で本社へ寄ってから研修所へ出社した。
今日も、夕方、青島先生の本の続きを読んだ。実に勉強になる戦略論の本だ。
ウィークデーで週2回を目標にしているトレーニングに寄ってから帰った。順調に体重が減っている。この調子でいけば、執筆に絶対良い影響が出るだろう。
9月7日(水)「今日の青空は?・・・の風さん」
今日も朝から抜けるような青空が広がっている。
空を眺めるのは好きだが、つい人生を感じてしまうので、そうしょっちゅう見上げることはしない。どんなに美しく雄大な大空であっても、人間はちっぽけだ。それを自覚してしまう。
会社の定年が意外と近いところにあることを実感してしまった今週である。それを実際的にもっと先へ移動させないと、やはり思考が暗くなる。
今日も午前と午後、会社の仕事に集中した。実務能力はまだまだ落ちていない。しかし、人間は経験を積むほど大きなことをしたくなる。そして、次には、世の中のためになることをしたくなる。
とりあえず今日も会社員としてまじめに仕事をしたが……。
9月8日(木)「経営学にのめりこむ風さんの巻」
6時に起きて、最寄の駅を7時過ぎに出る電車で、東京へ出張に向かった。輪番休日だが、世の中と合わないこともある。
最初の電車で名古屋まで立ちっぱなしだった。約50分の試練は老いの身にこたえた。続く、のぞみの車中では、ほとんど睡眠状態に近かった。
電車や地下鉄を乗り継いで目的地を目指したが、東京ではこの乗り継ぎがくせもので、けっこう歩いてしまう。
午前10時半過ぎにたどり着いたが、もうエネルギー切れだった。
午前中は、大学の先生と打ち合わせ。昼食後は、講演とフォーラムの聴講だった。異業種の話で、あまり参考にはならないかと思っていたが、あにはからんや、現代のビジネスの世界が強烈な印象をともなって脳に焼き付いた。つまり勉強になったのである。
経営学について真剣に勉強を始めたところだが、これは奥が深い、そして感動がある。経営学の視点からも日本の将来が語れる点はなおすばらしい。
午後5時半過ぎまで夢中で聴講し、終わってすぐ家路……ではなく、定番のギャラリーオキュルスに向かった。ここは文化サロンであり、情報収集の場、作家鳴海風の東京活動拠点でもある。
オキュルスでは、若くして死んだ探偵小説家「渡辺温」にちなんだオマージュ展の準備中だった。
帰りの新幹線では、経営学の本の理解に没頭していた。
帰宅したのは午後11時過ぎだった。
へろへろ状態だったのは言うまでもない。
「おおっ!」楠木さんの新刊だ。頼まれたらいやとは言えない同心の話の続編。『よろず引受け同心事件帖 招き猫』。
今度は猫の話か。読まないわけにはいかねえ。
9月9日(金)「洒落た夕食後も経営学・・・の風さん」
輪番休日の初日に東京出張して疲れてしまい、今日は家でおとなしくすることにした。
元気でタフなワイフは、午前中がトール教室で、午後は友人のところへ出かけてしまった。私は2匹の猫と留守番。
すっかり暗くなったころワイフが帰宅し、「ごめん。ごめん」と言いながら、夕食は外で食べよう、と提案してきた。
よっぽど自分でも友人とのお喋りが長過ぎたと思ったようだ。
もちろん私に「否や」はない。
伊勢湾に臨む、灯台のそばのレストランで、すっげぇ美味い晩飯だった。満足しながら頭の中では「こういったビジネスを成功させるためには……」と経営学の知識を総動員させていた。
9月10日(木)「また背骨を痛めた・・・の風さん」
風土の良さが伝統で、そこが一番のお気に入りで長年務めてきた勤務先だが、近年は並以下の企業になりさがってしまったらしい。ほとんど引退同然の私は、憤懣のやり場もなく(実はけっこう職場で言いたい放題だったりするが)、自己変革に邁進し、いつか「ああ、社内にはこんな前向きでロマンチストな先輩もいたのか」と後輩から思われたい。
ちゃっかり空気清浄機が働いている旧職場のオフィスを後にして、トレーニングに向かった。自己変革には肉体の改造も必要だ。
定番のメニューをゆっくりとこなしたのだが、また背骨が痛くなった。背骨に負担のかかるメニューはどれだろう? わからない。そもそも腰や背中が弱点なので、そこをガードするため主に背筋と腹筋を鍛錬しているのに……。
これでは持久力を養うための心肺機能トレーニングに当面注力するしかないのだろうか。
今夜は、東京で恩師I先生を囲んでの同窓会が開催されている。せっかくの東京開催なので行ってみたかったが、貧乏神から逃れないと、これも実現できない。
9月11日(日)「防災訓練の準備で明け暮れた日・・・の風さん」
9月は毎年防災月間、安全月間である。今年は東日本大震災があったので、真剣な防災訓練になるかと思われたが、それほどでもない。恐らく会社の頭脳としての機能がマヒしているのだ。
とはいえ、私自身は忙しくなってしまった。旧職場では偉そうにしていれば(実際は違いますよ)それで何とかなった。ところが、研修所で誘導班の班長を指名されてしまった。今年の防災訓練は、誘導に重点を置いてやるのだそうだ。
昨日、旧職場でシナリオを考え始めた私は、今日、午前中に研修所の防災隊事務局と打ち合わせ、多くの助言を得、それに基づいて、誘導のシナリオを見直した。
昼休みも返上して準備し、午後からは、誘導班全員に召集をかけて、スムーズな訓練ができるようにシナリオを説明するとともに、詳細事項を決めていった。
それらが終わった時点で、もう体力的に限界だった。
それもそのはず、昨日の背骨の痛みがまだ取れておらず、お爺さん状態だったからだ。
昼休みにできなかった英単語の暗記は、帰宅してからやり、今夜はさっさと寝ることにした。
9月12日(月)「防災訓練本番では・・・の風さん」
背骨の痛みがまだとれない。しかし、なでしこジャパンが勝ったから、泣き言はいうまい(なんのこっちゃ)。
午前中の長い会議の後、防災訓練があった。
誘導班は全員見事に人々を屋外へ誘導してくれた。
ところが、人員を数えたら1名足りないのである。研修所なので、訓練に参加した多くの見知らぬ研修生も屋外避難させてその人数を把握しなければならなかった。
止むを得ず(と言うか、当然の結果として)「不明1名」を入れて隊長へ報告した。
本社の本部では、その報告を受けて驚いたようだ。「確認して報告するように」と指示が来た。
最終的にわかったのは、点呼したときに声の小さい研修生がいて(思わず我が長男を連想した)、それがカウントに影響を与えたのだった。そばにいた他の研修生も気が付かなかったらしい。平和ボケの結果だろう。戦争中だったら鬼軍曹から殴られていたはずだ(私が?)。
昼休みに今日は英単語の暗記ができたが、午後の会議(私が開催した)がまた大変で、毎日1時間ずつ励行していた経営学の本を読むことができなかった。
帰宅したら、楠木さんの新刊が届いていた。講談社YA!ENTERTAINMENT『タイタニック沈没』である。こんな本、見たことない。
頑張らねば!
9月13日(火)「本来のペースに戻った・・・の風さん」
昨日に続いて、午前4時過ぎに起床し、遅れている執筆に手をつけた。
昔は夜型で、低血圧でもないのに朝に弱かったが、それは単なる寝不足のせいだというのが分かった。
早寝すれば、ちゃんと早起きできるのだ。
執筆は、気合だけではできない。基礎体力が必要である。
防災訓練と仕掛けていた会議が終わったので、とりあえず本来のペースに戻した。たまっていた雑務をこなしながら、経営学と英語の勉強に精を出すのだ。
来月か再来月、慶応大学の人たちを案内しなければならない。その対応も再開した。
名商大大学院での勉強が始まるので、その準備も再開した。
9月14日(水)「背骨の痛みが消えた・・・の風さん」
昨日に続いて、早起きし、執筆を少ししてから出社。
会社では猛烈な勢いで仕事をこなした。
その中で、経営学の本『競争戦略論』を読み終えた。約7日、7時間強で読み終えた。明快な構成と文章で、とても勉強になった。経営学の参考書などを全部買っているだけのお金も保管スペースもないので、可能な限り、あちこちから借りることにした。会社の同僚から2冊、愛工大の付属図書館から3冊そして地元の図書館から1冊である。
ケーススタディのやり方を書いた英語の原書を読み始めたが、初めてケーススタディの目的ややり方が分かった。なかなか興味深い。
帰りにトレーニングに寄ったが、トレーナーに背中や背骨が痛くなることを説明して、対策を教えてもらった。
トレーナーは言葉を選んで専門的に説明してくれたが、要は老化現象で身体が硬くなっているのだ。筋肉が伸びないので、背骨に直接負担がかかるという説明だった。
対策はストレッチで、背骨の周辺の筋肉を伸ばすのだが、ねじるように伸ばすことで、背骨も一緒に伸びる。
2種類のストレッチを教えてもらい、ぎこちない動作ながらやってみると、背中が楽になっていくのがわかる。
今日は最初から少し背中が痛かったが、帰る頃には、その痛みが消えていた!
さすがプロ、さすが専門家、である。
自宅でもできるストレッチなので、寝る前にまたやった。
9月15日(木)「ちょっと先の仕事・・・の風さん」
今日は15日、新鷹会の勉強会がある日だ。仲間へメールで様子を尋ねてみた。明日にでも返信があるだろう。
今日も背骨の痛みがない。
快調である。
執筆と英語の勉強に専念した1日だった。
明日には執筆に一段落をつけたい。
そう思っていたら、客員研究員をやっている日大工学部機械工学科サステナブル研の教授から、12月の講演についてアドバイスのメールが来た。結局、配布資料やレジュメを考えて、提示するところまでやってしまった。
先へいけば楽になることだが、今はそれどころではなかった。
9月16日(金)「タイムマネジメント・・・の風さん」
またおかしな動きをする台風が現れた。
まだ遠いがその影響だろう、天気が不安定である。
今日は朝から執筆に専念していたが、非常に蒸し暑く感じる。
晴れているうちにと近所の図書館へミッシェルを飛ばしたが、帰るころには雨が降ってきた。経営学の参考書があって助かった。
執筆もやりながら、英語の勉強そしてケーススタディの勉強(テキストは英文だ)も並行してやっている。ケーススタディでは色々と勉強になることが書いてある。
筆頭は時間厳守のためのタイムマネジメントである。
考えてみれば執筆も仕事なので、締め切り厳守のためにタイムマネジメントが必要である。
今夜はちょっと無理して、書きかけの原稿を、とりあえず最後まで書いてしまった。提出できるレベルではないが、こういうステップが重要なのだろう。
9月17日(土)「英語で衝撃・・・の風さん」
愛工大自由ヶ丘キャンパスの図書室へ行き、OPACで調べておいたマーケティングの本を3冊借りてきた。いちおう私は教員待遇なので、60日間借りられる。
名商大大学院のオリエンテーションがあったので、出かけたのだが、入学式が最初にあった。
学長や研究科長が熱弁をふるってくれたので、単純な私の学習意欲は大いに高まった。
ケーススタディのやり方について、教官から説明を聞いたが、これは相当にてごわい。しかし、小説にも絶対に役立つ。
しかし、今日の最大の衝撃は、開始前にロビーで休憩していたのだが、そこへ行く前も行ってからも目撃する人間は西洋人ばかりなのだ。アジア系の若者も混じっているが、皆英語で会話している。
ここは英会話学校ではない(笑)。
彼らがコンビニで買ってきた食べ物を食べ始めたら、事務室から人がやってきて英語で注意していた。
注意された連中が消えた後、また別のグループがやってきて食べ始めたが、今度は違う人が出てきて、同じく英語で注意していた。
結局、私がロビーにいた30分ほどの間、多くの人を見かけたが、日本語は全く耳に入ってこず、英語ばかりだった。
ここでは英語を話すのは当たり前ということなのだろう。
帰宅して、今夜もタイムマネジメントに挑戦したが、うまくいかない。執筆は時間がかかる。よし。明日こそ。
9月18日(日)「聞こえないフリ・・・の風さん」
もうすぐ連休に突入するので、会社では猛烈に仕事している。あれこれ迷ったり、考えたり、喋っているだけではアウトプットが出ないので、ひたすらアクションを続ける。上司から声をかけられても、聞こえないフリをして手を止めない。
それでも、せっせとお茶を飲んだり、所内を散歩したりして、エコノミークラス症候群にならないように注意する。
合間に英語で書かれたケーススタディの本を読んでいるが、これは実に勉強になる。予想以上に会社の担当業務にも役に立つ知見が得られる。連休が明けたら、ポイントを整理して上司へ報告しよう。そうすると、きっとこう言われるだろう。
「聞こえないフリして、こんなの読んでいたのか」
帰りに床屋に寄り、87ページ読書した。
9月19日(月)「今度こそ紹介制度で・・・の風さん」
T製作所へ出張したあと研修所へ向かい、その後は、昨日と同様、夢中で仕事した。
来月、慶応大学大学院の人たちを会社の工場へ案内するので、その準備が大変である。もうすぐ連休に突入するので、詳細が決まらないうちに正規の申請をして承認を得なければならない。ヒューマンネットワークを総動員し、多くの同僚らに助けられて、少しずつ固まっていくのだが、焦るぜ。
今日はトレーニングをして帰宅した。始めに教えられたストレッチをしたので、大丈夫だと思ったのは油断だった。レッグプレスのときの姿勢が悪く、また少し背中を痛めてしまった。しかしすぐ、ストレッチのやり直しをして、背骨の周辺の筋肉を伸ばしたので、応急手当にはなったようだ。痛みはやがて引いた。
帰宅したら、兄貴から電話で、タイミングがいいのでハイブリッドの新車に買い換えるという。これまで何度も事後報告で、会社のメリットである紹介制度が適用できなかった。あるときなどは、5万円のプレミアムがついているときもあった。
今回は思い出してくれて、電話があったのだ。
しかし、23日に契約すると言う。
明日中に会社で申請しなければいけない。
9月20日(火)「超高密度に仕事をした日・・・の風さん」
台風15号が接近しているいやな1日だった。
昨年の猛暑、今年の大震災含めて、自然のリズムが大きく崩れ、その歪が消えるまで数年かかるようだ。
天明の飢饉、天保の飢饉もそうだった。
マクロ的視点から見て、エネルギー保存則が成立している。
旧職場に出社して、用事を一つ済ませてから、研修所へ向かった。
途中から激しい雨になった。泥水があふれて道路上に広がっているところがあった。
トラックから激しい水しぶきを浴びせられ、ミッシェルの中まで泥水が飛び込んできた。
今日は猛烈に仕事をした。会議は2つこなした。
兄貴の新車の紹介登録をした。有料道路の補助金申請をした。出張処理もいくつかした。
来月の慶応大学の工場見学申請を完了させた。
一橋大学との質疑の資料をメール送信した。
先日の防災訓練の振り返り報告をまとめた。8日の長〜い出張報告をまとめた。
9月度報告と10月度計画を作成した。
そして、戸締り当番をして、午後8時半に退社した。
雨のピークは過ぎていたが、増水した名古屋市は、100万人以上の市民に避難勧告が出た。
下道を通って帰宅した。
もうへとへとだった。
9月21日(水)「講演依頼が2件・・・の風さん」
台風12号とやや似た、不穏な動きをする台風15号が日本を襲ってきた。
今日は名古屋でJMAの生産技術研究部会が予定されていた。開催が懸念されたが、風雨は強かったものの、公共の交通機関が何とか動いていたので、出張することができた。生産技術に従事する若者たちの異業種交流会なので、スケジュールは順調にこなせてほしい。
そこで思わぬ講演仕事が飛び込んできた。来週の東京での研究会で話題提供してほしい、というのである。ちょうど会社の輪番休日に当たっている日だが、それよりも何よりも、私はその日は東京にいるのである。親しい人からの依頼でもあり、困っておられるようだったので、先ずはお引受けすることにした。
今日の名古屋往復の電車の中では、ビジネススクールで渡された英語の本を読んだ。
帰宅すると、愛知淑徳大学の先生から、講演依頼のメールが入っていた。来年度になるだろうと予想していたのだが、意外と早かった。年内の仕事になった。
チャレンジの好きな私を、運命の女神はどこまでも追い込もうとしている。
9月22日(木)「超多忙な11連休がスタート・・・の風さん」
今日から勤続30年のリフレッシュ休暇をはさんで11連休になる。
やること「てんこもり」である。
土日にビジネススクールの最初の講義を受けるので、その予習とレポートを準備しなければならない。
完全に文系の勉強というのは、ここ40年間で初めてである。そもそも人間には文系も理系もないと主張してきた私だから、抵抗なく没入できる。とはいえ慣れないことばかりで右往左往しているが、とても楽しい。
今日は、会社の防災訓練の一環で、ネットを使った安否確認訓練があった。過去に何度か経験していたので、適当に処置していたら、途中でアクセスをブロックされてしまった。パスワードの必要な画面で、いい加減なパスワードを入力したからだ。その前までは処理が終わっていたのだが、はたしてパスワードを必要とするところまで訓練範囲に入っていたのだろうか。
来月の14日から3週間の予定で、和算展示会が名古屋大学付属図書館で開催される。愛工大の中国人留学生を誘って行こうと思ってメールした。
9月23日(金)「ケーススタディとは・・・の風さん」
ビジネススクールの講義は、ケーススタディが中心となる。ハーバード大学のスタイルとのことだ。
ケーススタディは全く未経験ではなかったが、大学院から渡された英語の本を読んで、その目的とやり方が、自分のイメージとかなり違っていることを知った。一番の違いは、学び教え、教え学ぶということである。参加者がしっかり予習したことに加え、その人のビジネス経験も人生経験も総動員して発表し、他の参加者に良い影響を与える必要があるのだ。そのためには、均質な人間が集まっているよりも、異質な集団の方が望ましい。そして、私のような経験豊富な人間は、ケーススタディでの貢献がとても期待されるのだ。ケーススタディは、その後のビジネスはもちろんのこと、人生にも良い影響を与える、というから、小説執筆にも当然役立つ。
そんなわけで、夢中で明日と明後日の準備をしているのだが、とても明後日の分まで手が回らない。
明後日の分は、明日の最初の講義も反映して徹夜を覚悟することにした。
なので、今日はとりあえずのレポートを用意して、あまり遅くならないうちに就寝した。
9月24日(土)「経営手法を駆使した分析・・・の風さん」
講義は10時から始まるが、キャンパスのドアが開くのは9時からである。
ICチップ入りの学生証を使ってセキュリティを解除し、真っ先にキャンパスに入ったのは私だった。
9時半には講義室にほとんどの学生が集まっていた。すごい熱意である。
指示通りに講義前にレポートの提出もされた。
セオリー通り最前列に席を確保した私は緊張していた。
教授は入試のときの面接官の一人で、私を覚えていてくれた。
出欠がとられ、午前中は講義となった。実は時間がなくて今朝から読み始めた指定テキストを中心にした内容だった。
昼食後、小グループに分かれてディスカッションとなったが、そこで早くもずっこけた。
7人のうち新人は私だけで、他の6人は皆発表スタイルつまりプレゼンスタイルで予習した結果を持参してきているのだ。
レポートもプレゼンスタイルで提出しているのだという。
午前中の講義で出ていた経営分析の手法がふんだんに使用されていた。
最も出来の良い予習結果を持参してきた人のプレゼン資料をベースに、全体講義での発表内容が検討された。
全体講義における発表でも、黙っているとポイントが稼げない。下手をすると単位がもらえないのである。
皆手を上げて発言の機会を得ようと必死である。
私も手を上げて質問したが、ろくな内容ではなかった。
最後に教授が模範的な回答を示して解説してくれた。
今日は1ケースだけだったが、経営手法を駆使した分析を学んだ。
9月25日(日)「目指せ理論の発見・・・の風さん」
予想通り、完全徹夜になってしまった。
電車の時刻ギリギリにレポートの印刷も終えて、ワイフに駅まで送ってもらった。
行きの車中では24時間ぶりに少し寝た。
今日は2ケースである。10時に開始して、終了予定時刻は17時半。
到着早々、失敗を2つやらかした。
提出すべきレポートは1ケースだけだったのに、2ケース分用意してしまったこと。
しかも、そのレポートの課題を少々勘違いしてまとめてしまったこと。
昨日、教授が示してくれた模範回答のスタイルに近づけようと頑張ったのだが、徹夜してもひと晩では無理だった。
意気消沈していても始まらない。とにかくやらねば。
夕方近くなって、さすがに眠くて眠くて耐えられなくなった。
しかし、ここで居眠りでもしようものなら、ポイントを失って、落第は必死である。教授は常に学生の言動を観察していてメモしているのだ。また、グループ内では相互チェックもされていて、誰が貢献して誰が足を引っ張ったか内部通報もすることになっているのだ。恐るべきシステムだが、教授陣も学生から逆評価されているので、皆油断がならない。
眠気覚ましに挙手したら、教授が指名してくれた。
喜んで質問したら手痛い洗礼を受けた。
「課題から外れた質問ですね」
教授からバッサリとやられてしまった。
またまた落ち込んで帰宅することになってしまったが、今日も収穫があった。他の学生の勉強の仕方を観察してみると、経営分析の常套手法を律儀に駆使するだけでなく、自分だけの視点や理論の発見に努力しているのである。
すごくハイレベルだ。チャレンジし甲斐がある。
そうはいっても今の私に必要なのは睡眠だった。帰りの電車でも睡眠を補った。
9月26日(月)「過密スケジュール・・・の風さん」
朝から何となくスッキリしない空模様である。秋らしいといえば秋らしい。もうセミの声も聞こえなくなっている。
今週の東京での講演には、どうしても会社に置いてある資料が必要だった。
同僚に簡単に持ち出せるように準備をお願いしておいた。
ということで、昼前に旧職場に出社した。こういうのを休出というのだろうか(笑)。
出社したら、同僚がちゃんと準備してくれていた。頼りになる。
作家の仕事は一人でやることがほとんどで、達成感は独り占めということが多いが、やはり一人で何でもできるわけではない。同僚に感謝・感謝・感謝。
作戦通りに昼食も食べて、帰りにミッシェルの給油もして帰宅した。
講演スライドを作成し、レジュメも作成して、事務局へ送付した。
これで何とか最低限の準備はできたわけだ。
その後、講演前後の詳細タイムスケジュールを検討して、ビックリした。
私らしい過密スケジュールだった。やっぱり私はマゾか。
9月27日(火)「意外なリフレッシュ休暇制度・・・の風さん」
朝から遅れていた執筆の挽回に全精力を注入した。
実際は10日くらい前に完成寸前だったのだが、あれこれと仕事が発生して、集中して取り組む時間がとれなかった。
明日から出かけるので、何が何でも仕上げねばならない(実は、昨日フォローのメールが届いて、しまった! と思ってもいた)。うまく出せれば、また頭をリセットさせて、次のテーマに取り組める。
夕方やっと完成したので、すぐに出版社へメールで送った。きっと今日中に返信メールがあるだろう。
それからすぐ体育館へ直行した。明日からまたしばらく行けなくなるので、これも絶対に今日やりたかった。
トレーニングルームに入ったら、文章教室の生徒が先客としてマシンに格闘していた。
「先生。今日はお休みですか」
「勤続30年のリフレッシュ休暇なんだよ」
「じゃあ、お祝いの旅行券とかももらえるんでしょ?」
「とんでもない。この休暇は給料の一部がカットされるんだよ」
「???……」
帰宅し、夕食を摂ったあと、明日の午後から出かける準備をした。かなりの時間がかかった。
9月28日(水)「仕事を抱えて出発・・・の風さん」
今週末もビジネススクールで授業があるので、その準備にとりかかった。
先ずは、土曜日の分。2つのケースのうち、レポートを出さなければいけない方からだ。
そのケースは、自動車産業が背景にあるので、いくらか理解できる。先週末の汚名挽回のためにも、今度こそ立派なレポートとプレゼンをしなければ……。
ところが、次々に雑用も発声して、ちっともケースの分析がはかどらない。
とうとう出発の時刻になってしまった。
トールペインティング協会の会議で名古屋へ出かけているワイフと、新幹線改札口で待ち合わせたのだが、出発時刻が近付いているのに、姿を見せない。電車の中からメールも送ったし、名古屋に着いてから電話もかけてみたのだが、応答なし。
(一体どうなっているんだぁ〜)
と思っているところへ、ようやく現れた。
レンタルで借りていた会議室の、契約時間を過ぎたのに、まだ会議をやっていたのだという。だらしない奴らだ。そういう連中はビジネススクールで鍛えてもらわなければならない。
新幹線に乗ってすぐ、アプリルを取り出して、ケースの分析の続きを始めた。
参考資料のエクセルファイルのデータをグラフ化していく作業に集中した。
新横浜が近付いたので、作業をやめた。今日はここまで、だ。
昨年ワイフが気に入ったホテルをまた予約した。3ヶ月前にお得なプランを見つけた。値段が安いだけでなく、ホテルで使える商品券(2000円分)と、江戸情緒を感じさせる日本手拭いのおまけ付き。
夕食は近くの韓国料理店で焼肉を食べ、その後、ホテルのラウンジで、もらった商品券を使ってアイスクリームを食べた。
9月29日(木)「ディズニーシーで体力トレーニング・・・の風さん」
早起きしてケーススタディの準備をしようと思ったが、目が覚めたらもう6時だった。
ホテルの朝食が7時からなので、食べてすぐ出発する予定にしていた。
早朝に仕事をするなら、遅くとも5時には起きなければいけなかったのだ。
万歩計をつけて部屋を出た。今日はどれだけ歩けるだろうか。トレーニングがしばらくできないので、頑張って歩くつもり。
ここのホテルの朝食にはある魅力があった。中に入れるものを選んだ後、目の前でオムレツを焼いてくれるのだ。
マッシュルームと野菜を入れたオムレツとサラダをおかずに、ご飯と味噌汁という、ヘルシーな朝食を摂った。
こんな超多忙なときに夫婦でどこへ行こうとしているかと言うと、ディズニーシーである。ワンパターンというか恒例行事になっている。パークチケットは、今回はコーヒーについているポイントをためたものである。来年はクレジットカードのポイントで入手する予定。やはり恒例行事か。
気に入ったホテルに泊まったため、舞浜までが遠い。しかも今日は平日で、通勤時間帯になってしまったため、東京駅まで東海道線の車中、ずっと立ちっぱなしだった。しかし根性で、マーケティングのテキストを読んでいた。京葉線は座れたので、座ってマーケティングのテキストの続きを読んだ。
こうして、開園からだいぶ過ぎた、9時半ころにディズニーシーに入ったのだが、意外と混んでいた。
今日はショーを主体に楽しむ計画である。特に「ファンタズミック!」は初めてなので、恒例のマゼランズでの夕食をランチに切り替えて時間を確保した。しかし、正面ではなく反対側から見たので、ちょっと遠かったな。
アトラクションでも、初めての「タートル・トーク」は見ておこうと思った。これは子供向けだが、ウミガメのクラッシュの喋りがなかなか面白かった。でも、もしクラッシュが対応できないような答えを言ったら、どうしただろう、とも思う。
怖いアトラクションが嫌いな風さんは、「ジャスミンのフライング・カーペット」や「フランだーのフライングフィッシュコースター」でワイフの誘惑をかわした。しかし、どちらも初乗りだった。
こうして閉園まで必死に歩き回って、やっとホテル(いちおうオフィシャル)にたどり着いたのだが、昨夜のホテルと同様に、サービスの商品券(1000円分)をもらったので、ラウンジ横のレストランで使うことにした(もう今しか使えるタイミングはなかったのだ)。風さんはカレーライス、ワイフは天麩羅そばを食べた(大衆食堂か)。
午前零時近くに部屋にたどり着いて、腰の万歩計を外してみたら、なんと28600歩だった。
9月30日(金)「また徹夜・・・の風さん」
根性で5時に起きた。
ケースの分析でなく、今日午後の仕事、つまり講演の準備をした。約1時間半の講演をするので、たくさんあるスライドをもう一度チェックしながら手直しした。
朝食は、オフィシャルホテルだが、昨日のホテルの方が数段上だった。宿泊客には子供のいる家族連れが多いので、かなり合理化されていて、おとなから見れば手抜きである。
ホテルの連絡バスと電車を乗り継いで、ギャラリーオキュルスへ行った。
27歳の若さで死んだ探偵小説家「渡辺温」展をやっているからだ。くもん出版の編集者も途中で合流してくれて、大阪での活動について少し打ち合わせができた。
それから近所で軽くランチを食べて、東京タワー近くの、JMA本部へ向かった。
私が声を嗄らして講演をしている間、ワイフは東京タワーを見学に行った。
講演後も議論する場があったのだが、もう切羽詰っている私は、そこで失礼させてもらった。本当に申し訳なかったが、ここで無理すると死ぬ恐れもあった(マジで)。
帰りの新幹線で仮眠した。それで元気が出たので、名古屋からの名鉄電車では、ケースの分析の続きをした。
帰宅して、夕食を摂ったあとも、準備を続け……、そのまま夜が明けた。
2011年10月はここ
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